4年に岐阜の田舎に貰われた日も、事件が起きたのです。
連れて来て呉れた叔父を、駅まで見送りに行く途中で
一頭の暴れ馬が、駆けぬけて養父を引きずって
大怪我をさせたのです。
それは、私の両親が、その家に
行かせない様にしたのだろうなぁと、ずーっと後で
叔父が、済まんかったなと言っていました。



叔父が、帰った後の私の貰われた家は、電気も水も無くて
お皿に芯を置いて油を入れて、灯りにしていました。
お茶碗も川で洗っていたのです。


働き手として貰われた家は、おかゆに塩だけの生活でした。
毎日、近所の駄菓子屋に10円持って、おやつを買うのだが、
一つも食べた事は、有りません全部養父が食べて、
呉れようとはしませんでした。どんぐり飴が50銭の時代です。



 子守りに行く時が、一番嬉しかったのです。
おやつに南瓜や、ジャガイモを炊いてあるので、この子に
食べさす時に一緒に食べや。と言われていたので
子どもも可愛いけど食べ物欲しさに

喜んで出掛ける家も有りました



田んぼの水を見に行くのは、夕方で蛇に咬まれないように
あぜ道をぴょんぴょん飛びながら走ったものです。
山の畑で一人大根の葉の虫取りをしたり
考えられない様な経験をし出したのが、この時からです。


近所のお姉さんに、要らない洋服を貰い、自分で工夫をして
縫い直して着ていました。

ミシンが無いので手縫いでした。






inserted by FC2 system