家では、お粥と塩の生活でしたから、給食は、何を食べても
美味しくて、残りそうだとお変わりをして満腹していました。
中学は、給食がないので、ひもじくて気分が悪くなり
倒れては、医務室の先生にお弁当を戴いていました。
会社のお姉さんとの共同生活の時は、いつもキャベツ炒めや
ご飯にバターを乗せ、お醤油を掛けて食べる毎日でした。
3畳一間のアパート暮らしの時は、コッペパン1本を7つに切り
そうめんは、1把と決め、それ以上は食べませんでした。
昼食は会社の食堂で食べ、夜学校からの帰りには、友だちの
家にセーターのボタン付け、まとめの仕事をさせて貰って
いましたので行くと必ず「待ってたで、一人で飲んでも
美味しくないので側で食事してや」と、おじちゃんが呼んでくれ
おばちゃんが作ってくれた食事を10時過ぎに戴いていました。
 その当時の給料は、5千円で、家賃光熱量で5千円
友だちの家で、短い時間なのに5千円戴いて助かっていました。

少し余裕が出来たので、四畳半と三畳の二間続きの
部屋に移り住んだら、私の空いた部屋に新婚さんが入って
来られました。日曜になると沢山のご馳走を作って下さり
「一緒に食べよ」
と誘って、自分たちの子どもの様に
可愛いがって気を遣わない様にして下さいました。


結婚してからは、私の手作り料理で、皆さんを歓迎致し
ますと、必ず教えての声。料理教室が、自宅から
幼稚園、小学校、公民館と広がり 他の地域からも
申し込みが増えて行きました。
30年過ぎましたが、今も希望が有れば出向いています

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