中学になると頼まれてセーターを編んでお金にしていました。
働くように成って、テーブルセンターやピアノカバーなど
レース編みで注文が来るように成りましたので、通勤、通学の
電車の中で一週間に、一枚のペースで仕上げていました。


二十歳になって中古の家を買い、養父母にあげて
養子縁組を解除して貰いました。


洋裁店を経営している叔母の家に同居させて貰い乍ら
昼間は、会社に勤め、夜は、お茶、お花、和裁、人形作り
などを習い、材料は、全て人の物でした。


材料費が、大変なので造って欲しい人に出して貰いました。
私の出費は、月謝だけです。日本人形を習っていたので
注文を聞いてから、材料調達でした。


友だちが多いので、随分助けて貰いました。
人形の着物も縫っていたので、和裁は、すいすいと
袷まで進んでしまい先生に、一年掛かる所を3か月で
卒業する人は、初めてだと言われました。


人が一枚習う時に、4,5枚の注文を縫い上げますので
結果がでたのでしょう。作る楽しさは、どんな時にも
訪れますので苦痛は有りませんでした。








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